中尊寺といい、こちらといい、悠久の時を感じました。
1200年の歴史があるとのことで、その間ずっと、祈る人を見守り続けてきたのですね。
ちょっと小さくなりましたが、木々の向こうに見える毘沙門堂を背景に記念撮影。
このあと、渓谷舟下りで有名な「猊鼻渓」(げいびけい)に行こうとして、
ナビの設定を間違えて、「厳美渓」(げんびけい)を再訪するドジを踏みました。
さすがに「空飛ぶだんご」どころではなく、再出発。
次は無事に「猊鼻渓」に到着。渓谷舟下りで有名な場所。というか、ここまできて舟乗らなくてどうすんの? という場所ですが、ここは「見るだけ」。
時間がなかったのです。
実は次の場所へ急がなくてはならない時間になっていまして、割愛。次回こそ。
次の目的地は、気仙沼。
今回の旅行で、平泉と並んで私が行きたかった場所。
厳美渓からは、国道284号を東へ下っていきます。
この道も、関東と比べると「くねくね度」が浅く、速度が出やすい
ハイスピード峠道。東北はこのタイプが多いのでしょうか?
紅葉を楽しみながらのドライブとなりました。
この道を走っていて、ちょっと気になることが。
ところどころ、その地点の住所を表す標識があったのですが、
そのほとんどが「一関市〇〇」なのです。
つまり、山を下って気仙沼市にたどり着くまでの道のりはすべて、一関市だったのです。
厳美渓から始まって、平泉周辺で観光をした場所もすべて、一関市でした。
いったいどんだけ大きいのでしょうね一関市。
気仙沼に到着。
この場所に行きました。
東北へ行くにあたって、訪れなければならない場所と決めていました。
被災した高校の校舎をそのまま残した施設になります。
リンク先のHPを見れば、教室に自動車が流れ込んだ写真が出てきます。
この教室を、実際に見てきました。
そして、言葉を失ってしまったのですが、
この教室は校舎の3階にあったのです。
校舎の屋上からは、屋根がなくなった体育館なのど遺構が見えます。
また、更地になった隣の広場では、お年寄りが集まっていました。ゲートボール(?)に興じていて、彼らは、なぜか、底抜けに明るいように見えました。
被災地の未来は、このお年寄りの笑顔とともにあるのだと思いました。
この伝承館には、長く居ました、
陽も傾いて、宿泊地の松島へ。
つづく。